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なーお さんの日記  [ メールで投稿 ]

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9月
7 (木)
カテゴリー  経営
タグ  会社 仕事

本日夕刻、お客様への申し送りをばたばたと終わらせ、ご挨拶のあと、レンタカーを博多駅前に午後8時の門限ぎりぎりで返却して一息ついているところです。 長いようであっという間だった不休の1ヶ月。 明朝、成田行きの便で千葉に帰ります。

この出張を含め本年は色々な面で昨年とは違う仕事をしており、がむしゃらにやってきた初年度とは少々違う気持ちになりつつあります。 Privateの理由から退職の道を選び 「独立」「会社設立」から1年半。 今の心境を書き記してみたいと思います。
まず、私の業務内容である「工場設備のソフト開発と立ち上げ」において、一般的には「個人」で請け負うことは全く問題ありません。 自分自身が「ガシガシ」仕事をすることに変わりはないのですから。

しかし、私は以下の理由から会社設立の道を選びました。 (振り返りも含め、徒然に)

1、お客様の信頼感

 請負先が「個人」か「会社」か。 それが同じスキルの持ち主ならば、迷わず「会社」を選びますよね。 もちろん「個人」が信頼できないということではありませんし実際ほとんど変わりはないと思うのですが、 後出する本人の「気持ち」の面で差が出そうです。

 また、本人を良く知っている人ならば「この人に頼んでおけば大丈夫」 とわかっている場合でも、 それが大企業の「調達部門」であればまずは疑いの目で見ることから入ります。それが彼らの仕事ですから。 そんな場合の「説明」の容易さに、「個人」と「会社」では開きがあります。

2、自身のモチベーション

 一番重要と考えていたのがこれです。
 自宅兼事務室でSOHO的に仕事をする身分となることから、 仕事とプライベートの区分けが「あいまい」です。 (笑)  これは全くもって事実でして、1年半を経過した現在でも「あいまい」なことに変わりないです。

 そんな状況の中で仕事をするには 気持ちの「前向きさ」を重視して「会社」にするほうがいいのかな。。 程度に考えていました。  でも今ではこれは「大正解」であったと考えています。
 自宅で仕事をしている最中は、社ロゴ入りの「作業着」を着用しています。 田舎の自宅でワイシャツを着て作業をするのは似合いません。 やはり仕事柄、作業着がベストです。 着ていると、何となく気が引き締まるような気がします。

 仕事がきつい時、「あーもう、今日はこの辺で終わりにしちまおうかな・・」 と思う時が誰でもありますが、 それに歯止めをかけるのは自分自身しか居ません。  今は小さくても、もしかしたら将来大化けするかもしれない「自分の会社の将来」を背負っていることで、気持ちの面での一つの張りになっています。
 特に今回の仕事のような、めちゃくちゃな仕事環境の場合には、なおさらです。 一段落して思い返せば、キレてしまった時には単なる「一個人」でしたが、そこに至るまでの自分とその後のフォローなどは、やはり「会社の社長」としての自分がいまして、「会社にしておいて良かった」 と思うひとコマでした。

 仕事を請けるときは、社長としての自分。 それを元に自分自身に指示を出し、「へーい。 わっかりやしたあ! 親方ぁー!」 (スネークマンショー風。 古っ!) となって仕事をこなします。 一種の2重人格のようですが、 夫々の立場での苦楽を味わうことができます。

3、税金に関すること

 会社を立てれば、個人で全収入を得るよりも庶務を家内に(パートで任せても、そうでなくても)分割することで多少の節税になりますし、仕事でもプライベートでも共用できる備品などは、会社で購入して個人で「借用」することは、それが目に余るようでなければ一般的には問題ありません。 そのような備品(FAX複合機など)は、会社の経費なり資産なりに計上できます。  経理や決算など、最近ではネットの情報も多いので会計ソフトでなんとかなります。

 以上の点は、独立前から調べていたとおりです。 道を外して税務調査で「脱税」と言われるようなことにならぬよう、健全な会社維持に努めています。

 そして会社にかかる税金と、個人にかかる税金。 それらの合計が、実際に税務署や地方自治体に収める税金の額になります。 収入が増えていった時に個人でやるよりも節税になります。 
 ・・と考えていたのですが、今年の会社法の改正に合わせてもぐり込まされた、例のとんでもない「役員報酬の損金不算入」改悪。 晴天の霹靂とはこのこと。 自分たちはお国からそんな風にしか見られていないのか、と悲しみと怒りを覚えました。 今日は詳しく書きませんが、とにかくやる気をそがれて、萎えちゃいます。。

**
以上、だらだらと書きましたが、そんな感じです。
やってみた感想。 「会社を持つのも、なかなか良いものですよ!」

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9月
3 (日)
カテゴリー  ソフトテニス
タグ  旅行 音源

松岡直也の1984年リリースの名作、 「夏の旅」です。

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松岡直也の叙情的なメロディーに、乾いたロックテイストを組み込んだ「脱ラテン系」フュージョンの名曲が多く、夏のドライブに最適。 若い人にもぜひ聴いていただきたいお勧めCDです。 ジャケットデザインも、中身とマッチングしていて秀逸です。

また、私はこのアルバムに特別な想いがあります。
学生時代、(今の歳の半分の頃!) 自分が都立大軟式庭球部の主将のときの、長野県「木崎湖」畔で行われていた恒例の夏合宿で、休み時間にこのアルバムをウオークマンで聴きながら休憩し、くたくたな体に元気を充電したものです。
(以下、想いが入り長文になります)
 元々、人の上に立ってまとめたり技術を指導したりするのは苦手な性格のうえ、高校から始めた軟式テニスの腕も 「光るもの」は持っていたと自負しますが決して「上手」ではなく、そんな私が大学時代の3年の幹部で「主将」を務めるには少々荷が重い状況でした。

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 大学1年に遡ります。 私が新入生で入部して最初の春のリーグ戦、関東リーグ(全13部中)9部→10部に降格。 秋のリーグでは何とか持ちこたえたものの、4年生も抜ける次年度はお先真っ暗でした。
 ところが、次の年の新入生は生きが良く「上手」で有望なメンバーが多数入部し、降格どころか頑張れば優勝も見えてくるかも・・ しかしさすがに「リーグ戦」の独特の雰囲気は1年生主力ではなかなか辛く、上位にも入れず。

 そして私が幹部を務める年に。 レギュラー10名中に幹部は私ともう一人だけなうえ3本柱は皆下級生。 肩肘張って「鬼主将」を演じた春合宿を過 ごし、またまた有望な新入生にも恵まれ、いよいよ優勝を目指した春のリーグを迎えました。  ・・ が、結果はお粗末でこれまた優勝を逸し。。 「これだ けのメンバーがいるのに、どうしてだめなんだ・・」

 いろいろ悩みつつそのままずるずると同じ練習メニューを引きずり、 6月に迎えた恒例の「東京地区国公立戦」。  当時関東リーグ3部の「学芸大学」や5部の「東大」など、強豪がひしめく大会です。 まあ決勝トーナメントに上がれれば良いやね、と肩の力を抜いて参加。
 そこで、な、なーーんと。 10部のわが都立大が 「優勝」 しちまいますた。
 まあ、学芸大学などは3年生を出さず2年生以下のレギュラー構成でしたから、ってのもありますが、それでも優勝は周囲を驚かせただけでなく、自分たちもびっくり。 自信につながったのでした。
 「実力はあるんだ。 あとはリーグ戦で自力を発揮できれば。」

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 夏休みが終わりに近づいた頃、わが部の参謀・後輩の「みやちゃん」(男) にいろいろ悩みと今後の練習メニューの相談を聞いてもらい、 「肩肘はらずに、自然に力のつく練習メニュー」を取り入れていったのでした。

その1: パターン練習
 前衛セカンドレシーブ後の後衛のリターンストロークや、ロブで振られた後のストロークなど、当時前衛主導だったわが部のウイークポイントの補強練習を、確か5パターンほど作った記憶があります。

その2: 空き缶当て
 後衛ストローク1本打ちやサービス練習、 前衛のスマッシュ練習などで、 コートの左右と中央のベースライン付近に 「空き缶」を置き、 見事に当てた人には「主将から缶ジュースを1本奢る」 という楽しいゲーム気分の練習。 私の懐はみるみる寂しくなっていきます。(笑)

 その他にもありましたが、上記「その1: パターン練習」 が一番良かったですね。 その後数年間、この練習は合宿だけでなく日常練習でも続けられました。

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 そして迎えたその年の秋のリーグ戦。 ついにわが部は悲願の優勝を果たし、入れ替え戦にも勝利して、9部に返り咲いたのでした。  翌年には8部に昇格し、この頃の主力メンバーによって「第一期黄金時代」が築かれたのです。
  数年後、キャンパスを東横線沿線から京王線「南大沢」に移転。 「第二期黄金時代」には5部まで上り活躍した母校ですが、  今はその名を「東京都立大 学」ではなく「首都大学東京」に改め、 (「とりつだい」→「くびだい」と呼び方も変わったどうかは知りません。笑)  9部まで落ちて下降基調だったこ こ数年の戦力ダウンも今年あたりから上向き基調とのことで、期待しています!

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 この楽しく過ごしつつ、実力アップできた夏合宿。 その私の原動力となっていたのが、この松岡直也のアルバム、「夏の旅」だったのです。 何度も何度も、繰り返し聞いていました。 今でもたまに聴き返しては、当時を思い出して元気が出てきます。 私の元気のかなり根っこの部分を、このアルバムの「すがすがしい疾走感」が支えてくれています。

 ずっと「いつか記事に」と思っていましたが、今回のきつ過ぎる仕事の中で 「もうだめだー。 けれどもあと1歩でも進んでおけば、後が楽になるからもう少し頑張ろう・・」 という気持ちで続けてきて、ようやく終わりが近づいた今、その気持ちになりました。

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

** 以下、欄外
[関係者の方へ]  本文中に記載しました当時の実績は、実際にプレイされた皆さんと、部全員の協力と団結、努力の賜物であります。 ありがとうございました。 
 私の想いだけから書きましたので客観性に欠ける部分があったかもしれませんが、どうぞご容赦ください。 

** 060912 追記
このアルバム(CD)にはプリエンファシス処理がされています。 一般のCDプレーヤーならば自動的にディエン ファシス処理をされて再生されますが、PCサーバーで再生する場合はシエンファシス処理がされずに、高域が強調された音になります。 PCサーバーに保存 する場合は、事前に ディエンファシス処理を行う方法をお勧めします。

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9月
2 (土)
カテゴリー  Business
タグ  仕事 出張

福岡の辛い仕事も、来週月曜日からお客様立会いというところまでこぎつけ、ようやく先が見えてきました。 

基本的に性能受注ではなく「お手伝い」で来ているため、適当なところで引き上げさせてもらうことで了解いただいています。 (辛すぎる内容と仕事量は、とても「お手伝い」レベルではありませんでしたが、受注した段階でわかっていたことですから。。)
9/7(木)朝の福岡→成田便を予約しました。

明日は工場には行かず、ホテルでアラーム画面と回路の作成などで過ごします。 そして4週間休みなしで長かった戦争状態が過ぎ去り、月曜日にキレたのを最後に穏やかに過ごしており、ほっと一息ついてかなり疲れが出ています。 少し休んでおかなくちゃ。。

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