午前10時に集合。オンコールオペで呼ばれたのが、午後2時過ぎ。さっき無事に終わりました。
一昨日のPET検査の結果で良性の確率が90?95%、その場合は完全摘出は目指さないと言われていたから、5時間を越えたあたりから、そわそわ。
まあ、直径5センチの腫瘍を1センチのから穴 (080615訂正:開頭した部分から1cmのスキマを通じて)顕微鏡でモニタを見ながら摘出するのだから、時間かかるわな。
9時半に終了の連絡とともに呼ばれ、髄膜腫で予定通りの摘出ができたと説明をうけ、レントゲンで圧迫されていた部分が大分戻っているのを確認しひと安心。
少ししてから本人にICU室で面会。なんともう目覚めてきちんと話ができたのにはビックリ。
手術前は腫瘍で押されていた影響か話のテンポが遅かったのが、ウソのように元通りのテンポで話すから、またビックリ。
本人曰く、生死の境をさ迷っていたら先生の『もう大丈夫ですよ。』の声で目覚めたとか。
いや、この先生(川原信隆先生)に巡り合えて良かった。
心配していただいた皆さん、ありがとうございました。
気付けば自分も40半ば。 父親は76歳になりました。
本日入院、来週6月10日に手術が決まりました。
病名等、重い話についていってくださる方は、以下どうぞお読みください。
父の病名は、脳腫瘍。
髄膜腫など良性のものなのか、はたまた星細胞腫などの悪性なのか、CTでもどちらとも判断がつかず、明日の血管像影検査・明後日のPET検査をもって、最終判定は手術中の摘出物で行うことに。 歳も歳なので、あまり長時間のオペはリスクが高く、悪性の場合は後遺症と天秤をかけての摘出範囲決定がとても難しい。
**
予兆は3年前からあったそう。 視野が狭くなったので眼科で「緑内障」と診断され、2年間の治療でも良化せず。 昨シーズンは硬式テニスやら囲碁やカラオケを楽しんでいたほどの体力だったが、ここ1年で視野欠損が急に進行。 ついでに物忘れが激しくなった。
某横須賀市内の病院から4月に横浜市立大学付属病院に紹介され転院。 いよいよ緑内障の手術となって、念のため行った頭部CT検査で見つかったのが、右後頭部の直径5cmの腫瘍。 視覚野が明らかに圧迫されていることによる、左目の左半分の視野欠損。(頭の中でも、脳と臓器は左右がクロスしているのですな。)
・・どこか気付いて上げられるタイミングはあったはず、でもそれを後悔しても仕方がない。 これから先をどう切り抜けてゆくかを考えることにする。
・・我が家はがん家系である。
姉は成人の歳に悪性リンパ腫を患い、あやうい状態を国立がんセンターの抗がん剤治療で完治。
父は50歳くらいに胃がんで3/4を摘出、完治。横須賀市内の病院。
母は享年57歳、肺がんで他界。国立がんセンター。
そんな過去があるので、思い込みの激しい父本人は「国立がんセンター」への転院を希望していた。 担当医師と4月に東大医学部付属病院から転任してきた教授に直に告白したところ、教授が顔見知りの国立がんセンター脳外科医師に直接電話でオペ可能日程を確認してくれて、その結果(時間がかかるので)このままお願いすることに落ち着いた。
実は私も教授と話をする前は、この病院も悪くはないのだが「ピカイチ」とも思えず、都内の病院に転院を考えていた。 ところがまさかこの病院にこんな素晴らしい医師が転任してきていたとは・・ 何というめぐり合わせか。 このままお願いするべきだと確信した次第。 本人も十分に納得してくれた。
母が他界してから、14年。 その時は今と同じく千葉に住んでいたので、たまの見舞い以外は何もできなかった。 もっといろいろしてあげたかった、、そういう思いが今も頭に残っている。 ・・ 今は都内や横浜に出張で出て来ている。 万一のことは無いとは思うけれども、術前術後と、父にはよく接してあげたいと思っている。
(かなり時間がたってからの追記)
この日の日記で、「親」という字が書けなかったことを記録していた。 今考えると、この時に神様のお知らせがあったのかも・・